日本牧羊の父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 00:44 UTC 版)
古来の日本の農政を研究の後、英米へ留学して主に牧羊について学ぶ。帰国後明治政府の勧農畜産政策を担った。 当時の日本では羊はあまり知られておらず、政府の畜産に関する方針は牛馬に力点が置かれていた。新政府に招聘された外国人ル・ジャンドルが軍用毛布のため羊毛の自給の必要性を説き、牧羊の専門家として、大久保利通によって下総に新設された牧羊場の初代場長に抜擢された。 国内初の牧羊場経営という試みであったことから、明治政府はアメリカ人牧羊家のアップジョーンズを主任技師として招き、牧羊場地の選定から飼育の仕方まで指導を受けることとなる。しかし、明治11年(1878年)8月、アップジョーンズは牧羊場の官舎で賊に襲われて重傷を負い、翌年に帰国した。下総牧羊場での事業は頓挫し、取香種畜場と合併して再建されることになる。
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