日本式軍刀術の制定(明治27年版「剣術教範」)
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1887年(明治20年)にフランス人教官が帰国すると、フランス式の剣術や銃剣術を取りやめ、日本の伝統的な剣術や槍術を元にした独自の軍刀術や銃剣術を制定する気運が高まった。「陸軍剣術教範」制定後の1890年(明治23年)6月に戸山学校長に着任した大久保春野大佐は、フランス式剣術・銃剣術の廃止と日本式軍刀術・銃剣術の制定を決定し、軍刀術や銃剣術の研究に着手した。 1892年(明治25年)、剣術家(津田一伝流第2世)でもある津田教修大尉が戸山学校体操科長に着任したことにより、さらに研究が進み、フランス式剣術は攻撃精神の養成に不十分であり、日本人の体格にも適さないとして、1894年(明治27年)に日本の伝統的な剣術をもとにした片手軍刀術を制定し、訓練には片手軍刀術用竹刀(全長約94cm、柄長約21cm、重量約370g)と剣道の防具を用いることとし、剣術教範を改定した。 日本式軍刀術の制定にあたり、両手で扱う内容に改める案もあったが、当時の制式軍刀が片手で扱うサーベル様式であったことと、当時はまだ陸軍内にフランス式剣術の信奉者が多かったことから、片手で扱う内容のままとなった。
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