日本学術会議の副会長・会長として
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「黒川清」の記事における「日本学術会議の副会長・会長として」の解説
黒川は、2000年7月に日本学術会議の自然科学部門担当の副会長に就任、2003年7月には会長に就任し2006年9月まで務めた。黒川が学術会議会長のとき、副会長職が研究分野別の2人制から活動分野別の3人制に改められた。 また、 黒川が学術会議会長のとき、文部科学省高等教育局との二人三脚で、専門職大学院の設置ならびに専門職学位の創設(2003年施行)、司法制度改革に連動した法科大学院の設置(2004年施行)、薬学部6年制への移行(2006年施行)など、アメリカ政府の年次改革要望書に沿った教育制度改革が次々と実施に移された。このとき博士号取得者の比率を主要国なみに引き上げる方針が示され、看護学系大学院がその受け皿となって現在は年500人ペースで看護学系博士が誕生するようになっている。また、黒川が会長職を退いた2007年には、大学における学士号の種類が従前の29種類から580種類にまで増えていた。
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