日本への進出と断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:38 UTC 版)
1970年に当時アメリカが統治していて、2年後に日本への復帰を控えていた沖縄に進出することを表明し、琉球政府も同年6月に進出を認可していたが、外資の進出に反発した日本の通商産業省(現・経済産業省)が音頭を取る形で本土の大手アルミ5社による共同出資で「沖縄アルミ」を設立したため、当時の日本ではアルミ産業の外資参入に際して、国内企業との合弁会社を設立することが必要不可欠だったこともあり、日本復帰後の合弁相手を探すことが困難になってしまったため、1971年5月に沖縄への進出を断念した。なお、沖縄アルミも事業化しないまま、解散した。 その後、日本の神戸製鋼とは技術提携しているが、日米で展開していた輸送機産業用アルミの合弁事業は2007年1月に解消した。
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