日本への降伏、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 07:37 UTC 版)
しかし1943年(民国32年)4月、日本軍5個師団の包囲攻撃を受けた第24集団軍は大損害を被る。窮地に陥った龐炳勲は、蒋介石の暗黙の了解を得ると日本軍に降伏した。その後、南京国民政府に帰属し、開封綏靖主任兼暫編第24集団軍総司令をつとめた。 日中戦争終結後、龐炳勲は蒋介石に再び投降した。それまでの戦功や日本軍投降の経緯を考慮されて罪に問われることなく、第1路軍総司令に任命されている。1946年(民国35年)春、龐は自身の老いや衰えを考慮して辞任し、国防部咨議に転じた。1949年(民国38年)、台湾に逃亡した。 1963年(民国52年)1月12日、病没。享年85(満83歳)。
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