日本の化学工学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:45 UTC 版)
明治時代の学制において、帝国大学などはその範を主にドイツに仰いだ。そのうち化学という学問の中のひとつとして、工業化学という科が持ち込まれた。 この科は産業界における化学者を育成するという理念に基づいていたので、研究の中心は産業界においての化学であった。 第二次世界大戦直前に、米国の大学から化学工学の概念が日本に輸入され、金沢高等工業学校(現:金沢大学理工学域自然システム学類物質循環工学コース)、京都大学、東北大学、東京工業大学などにおいて、化学工学科(当時は化学機械科と呼ばれた)が設置された。さらに戦後、多くの大学でも同様の学科が設置され特に戦後の日本の石油化学産業の発展に貢献した。 各大学での化学工学科は1990年前後に改変されたところが多く、現在、化学工学の学科名としては少なくなっている。化学システム工学、物質工学科、プロセス工学科、生物化学工学科、化学物理工学科などを名称にした大学が多い。 アメリカではプラグマティズムの気風が強く、化学工学の教科書では大体、前半に経済計算、特にプロジェクトエコノミクスに1章から数章割かれているのが普通である。しかし、それらの章は日本の化学工学の教科書からはほぼ抜け落ちており、化学工学が日本に渡った際、なんらかのアカデミズムの影響をうけたものと推測される。
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