八田四郎次とは? わかりやすく解説

八田四郎次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 08:18 UTC 版)

八田 四郎次 (はった しろうじ、1895年1月2日 - 1973年3月21日) は日本化学工学者石川県出身[1]

経歴

  • 1919年 東京帝国大学工学部応用化学科卒業。
  • 1926年 東北帝国大学助教授(化学機械学講座)。
  • 1929年 米国M.I.T.に留学。
  • 1938年 東北帝国大学教授。
  • 1939年 工業化学会有功章(液体によるガス吸収に関する研究)。
  • 1954年 東北大学工学部長。
  • 1955年 化学機械協会(現化学工学会)会長。
  • 1958年 山形大学教授。化学工学科創設。
  • 1960年 退官後,千代田化工機建設株式会社常務取締役を経て同社相談役。
  • 1970年 勲二等旭日重光章。
  • 1973年3月21日 死去,従三位を追贈される。

脚注

  1. ^ 『化学工学を拓いた人たち』丸善株式会社、1987年1月20日、58頁。 

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