日本のレオポン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 05:05 UTC 版)
阪神パークでのレオポン計画は日本で最も成功した例である。 ヒョウの「甲子雄」(かねお)を父親、ライオンの「園子」(そのこ)を母親として1959年11月3日に最初の2頭が誕生した。兄は「レオ吉」、妹は「ポン子」と名づけられた。 1961年6月29日に3頭の兄弟が誕生し「ジョニー」「チェリー」「ディジー」と名づけられた。 1967年頃、トラの父親とレオポンの「ディジー」から「タイポン」をつくる計画があったが、レオポンの生殖能力の低さなどから実現しなかった。 1970年に「ディジー」が婦人病、1974年に「ポン子」が肝硬変、1977年に「レオ吉」が老衰、「チェリー」が腸の癌でそれぞれ死亡。最後に残った雄の「ジョニー」が1985年7月19日に老衰で死亡後、5頭すべてが剥製となって阪神パーク閉園まで展示された。 阪神パーク閉園後、「レオ吉」と「ポン子」は天王寺動物園、「チェリー」と「ディジー」は国立科学博物館にそれぞれ引き取られた。「ジョニー」だけは西宮市の管理となり、市営リゾート施設のリゾ鳴尾浜に引き取られた。 リゾ鳴尾浜では2004年春から「ジョニー」の剥製を施設入口付近で展示していた。しかし、2020年、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による臨時休業や利用者減少によりリゾ鳴尾浜は廃業となり、「ジョニー」の剥製について西宮市では保存展示場所を検討している。 雄のレオポンの剥製(レオ吉) 雌のレオポンの剥製(ポン子)
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