日本における微分解析機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 23:05 UTC 版)
「微分解析機」の記事における「日本における微分解析機」の解説
日本では、この種の機械は3例があったものと考えられている。最初のものは、東大航空研究所の佐々木達治郎らと昭和航空計器研究部との共同研究により、1942年に試作された。続いてより大型のものの試作にとりかかったが、戦災で消失した(これは「3例」にカウントせず)。最初の試作機は戦後、東大生産技術研究所によって使用されるとともに、同機を参考にもう1機が開発・製作された。最初のものと同時期かその少し後に、同じ昭和航空計器が製作した小規模のものと思われる1機が、2016年現在、東京理科大学近代科学資料館で動態展示されているものであり、阪大理学部で清水辰次郎(de:Shimizu Tatsujirō)が1947年に使用していた記録があるのが同機と考えられている。
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