日本でのウーズレー車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 03:43 UTC 版)
第一次世界大戦後、好況を呈していた東京石川島造船所は、自動車の生産を計画した。同社は1918年、ウーズレーとのあいだに東洋での製造と販売に関する提携を結び、1922年に「ウーズレーA9型乗用車」の国産化に成功した。さらに同社は1924年、「ウーズレーCP型1.5トン積みトラック」を完成し、軍用保護自動車の資格を得た。 1927年、東京石川島造船所はすでにモーリス傘下となっていたウーズレー社との提携を解消、車名も工場に近くの隅田川に因む「スミダ」と改め、純国産車の生産をはじめた。ウーズレー流儀の高度に過ぎるSOHCエンジンは間もなく放棄され、当時の日本における生産・実用面に合致した自社開発のサイドバルブエンジンに後退した。この東京石川造船所の自動車部門は、後にいすゞ自動車となった。
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