日吉の怪童、角界へ
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1909年12月5日に神奈川県橘樹郡日吉村(現:神奈川県横浜市港北区日吉本町)の農家に生まれる。幼少の頃から身体が大きく、身長は15歳の時点で182cmに達していた。ある日、地元住民の勧めで日吉村の土地相撲に出たところ、いきなり優勝して賞金をもらったので度々出場しては優勝して貧しい家計を助けていた。荷車を引いた子牛が坂道を上がれないでいるのを見て、自分が代わりに荷車を引いて坂を上ったこともある。「日吉に怪童あり」との評判を聞きつけた両國勇治郎のスカウトで、1926年1月場所に出羽海部屋から初土俵を踏む。スカウトされたきっかけとして綱島諏訪神社の草相撲(祭相撲)で認められたという説と、明治神宮競技大会の神奈川県代表となったのが目にとまったという説がある。入門当時、武藏山の師匠である出羽海が入門の動機を尋ねたところ「お母さんを幸福にしてあげたいからです」と答えたという。四股名は当初「玉川(たまがわ)」を考えていたが、常陸山谷右エ門・栃木山守也に倣い、出身地からとって「武藏山」となった。
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