施餓鬼法要との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:01 UTC 版)
また後年になると、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐ餓鬼の口に、その水が入る。 仏教上における餓鬼は、生前に嘘を他言した罪で、燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は、炎を上げて燃え尽き、飲み食いすることは出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間は苦しみが途切れるといわれている(その間に供養を捧げたり、徳の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが、施餓鬼の法要の一端)。 これは、六道全てに隔てなく慈悲を注ぐといわれる、地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は、深い関係として成立していった。 仏教上では、非道者で仏法を否定、誹謗する者を一闡提(略して闡提)というが、これには単に「成仏し難い者」という意味もあることから、一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で、あえて成仏を取り止めた地蔵菩薩や観音菩薩のような菩薩を「大悲闡提」と称し、通常の闡提とは、明確に区別する。
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