施条砲の開発
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「アントワーヌ・トゥルイユ・ド・ボーリュー」の記事における「施条砲の開発」の解説
ボーリューは1840年から1852年にかけてライフリングの研究を行っていたが、1854年にナポレオン3世の命により実戦兵器としての開発が開始され、ド・ボーリュー・システムとしてフランス陸軍に採用された。前装砲の内腔には6条の溝が彫られ、砲弾にこの溝に合うように6箇所の突起が作られた。このフランスの施条砲開発は、イギリス陸軍のアームストロング砲(1858年制式採用)とほぼ同時期に行われていた。 この開発は、1858年の前装式施条砲で構成されるライット・システムの導入に繋がった。ボーリュー4ポンド砲(実際には砲弾重量は4kg)は1858年にフランス陸軍に採用され、12ポンドナポレオン砲(実際には12cm砲で、砲弾重量は4.1kg)を置き換えた。12ポンドナポレオン砲は榴弾が使用出来る前装式滑腔砲であったが、射撃精度が十分でなくまた射程距離も短かった。 ボーリュー施条砲は、まずアルジェリアで使用され、続いて1859年のイタリアにおける仏墺戦争で使用された
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