新鶴村簡易水道問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:34 UTC 版)
1954年(昭和29年)以来、金田利雄が村長を務める新鶴村では簡易水道を布設して管理を行ってきたが、1963年(昭和38年)5月、新屋敷水源地が汚染され赤痢病が発生し714名の罹患者を出し、それを受け、金田村長を筆頭とした村当局は原因究明、整備、補強工事等の危機対応にあたり、調査の結果、当該水源地は安全上問題があり、その代替として二岐、仏沢両地区に安全性に優れた水源地を見出し、金田村長のもと、参院建設委員長等歴任の大河原と連携して国会に請願した「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」が同年12月21日に受理され、国の協力を得ながら大規模測量、大規模工事を要する大事業であった広域簡易水道を完成させた。
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