新資料発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:56 UTC 版)
ニューヨークにヘボンの手紙等の資料がたくさん保存されていることを知った高谷は、何としてもアメリカに調査に行かなければならないと考え、1956年明治学院の許可を得てアメリカに行った。現地ではアジア財団、長老教会本部、ダッチ・リフォームド教会の援助を受けることができ、ニューヨークのユニオン神学校のゲストハウスで役員として迎えられ、長老教会本部に通った。 アメリカ聖書協会、ニュージャージー州立ラトガース大学図書館、ニューブランズウィック神学校図書館等も回り資料を探した。これらの場所でヘボン、S・R・ブラウン、グイド・フルベッキらの史料が続々と発見された。高谷は多くの貴重な発見資料を持って帰国した。 1959年岩波書店より『ヘボン書簡集』が発行されると大変な反響を呼び、NHKの「私の本棚」でも連続朗読された。高谷の最も代表的な著書となり、初期プロテスタント史研究の基礎的史料となった。『ヘボン書簡集』を最も高く評価したのは大塚金之助教授であった。続けて吉川弘文館より人物叢書『ヘボン』が出版されることにより、ヘボンの名は一層知られるようになった。1962年長く病床にあった米子が天に召された。
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