新島襄 にいじま じょう
東京神田生れ。教育家、宗教家。父は安中藩士で祐筆職。万延元年(1860)幕府の軍艦操練所に入る。元治元年(1864)函館よりアメリカに密航、理学・神学を学ぶ。慶応2年(1866)ボストンにて洗礼を受ける。明治5年(1872)に岩倉使節団に随行して欧米の教育制度を視察。7年(1874)に帰国、キリスト教の伝道を進め、翌年11月京都に同志社英学校、10年(1877)には女学校を設立。キリスト教主義にもとづく自由教育を唱えた。
キーワード | 宗教家, 教育家 |
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号・別称等 | 七五三太, 敬幹, Joseph Hardy Neesima |
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
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