教導職万葉選歌集
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明治5年(1872年)に明治政府は国民教化を目的として教部省に教導職を置いた。神官や僧侶が教導職に就いた。教導職らは国民教化の一環として歌集を編纂した。堀秀成編『名教百首』(1870年成立、1874年刊)などの万葉選歌集である。それらの編纂の際、教導職らは明倫歌集を参考にした。彼らの編んだ万葉選歌集を明倫歌集と比較すると、道徳を介して和歌と国家とを結合し、和歌による民衆と国家との一体感を醸成しようとする指向が、明倫歌集以上に強まっていた。 しかし明治政府は1877年ごろから過激な勤王心に警戒するようになった。教導職も1877年の教部省の廃止にとともに事実上消滅し、1884年に正式に廃止された。
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