摂津高山氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 17:01 UTC 版)
摂津高山家は宇多天皇の皇子敦実親王から出て、宇多源氏と同族と伝えられる[要出典]。代々が摂津国三島郡清渓村高山に城を構える地頭職であったといわれる(人物叢書『高山右近』[要ページ番号]参考)。 その他の摂津高山氏(上記の平姓高山氏とは系統が異なる)も、同国三島郡高山庄の国人領主として存在して、室町時代頃に高山重基が美濃国本巣郡に移住、そしてその子高山重利が摂津国茨木に移住した。 戦国時代に荒木村重に仕え、高山飛騨守(友照)・高山右近(重友)を輩出した。右近はキリシタン大名として知られ、織田信長、豊臣秀吉に仕え武功をあげるが、キリスト教が禁教とされても棄教することがなかったため改易処分となり、江戸時代にはルソン島に追放となった。 なお、摂津の高山氏は、上記の宇多源氏とは異なり、摂津源氏流多田氏の支流ともいわれ、江戸時代に豊後国の大名として存続した中川氏(中川清秀の子孫)は同族とされる。
※この「摂津高山氏」の解説は、「高山氏」の解説の一部です。
「摂津高山氏」を含む「高山氏」の記事については、「高山氏」の概要を参照ください。
- 摂津高山氏のページへのリンク