戦災による休校・統廃合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:32 UTC 版)
「大阪市立南小学校」の記事における「戦災による休校・統廃合」の解説
1945年3月13日深夜から翌3月14日未明にかけての第一次大阪大空襲では、当時の南区は壊滅的な被害を受けた。大阪大空襲により渥美国民学校は全焼している。 大宝・道仁・精華の各校は校舎被災を免れたものの、校区に大きな被害を受けた。空襲被害以降、各校とも児童数が激減し、渥美校に至っては1945年度の新入生は0だった。 また太平洋戦争の終戦に伴い、大阪商科大学(現在の大阪市立大学)の杉本町学舎はGHQに接収された。そのため大阪商科大学は、焼け残った道仁小学校校舎に仮校舎を置くことになった。 校舎の焼失や転用・児童数減少などの状況が重なり、大阪市では被災した国民学校を近隣校に統合することになった。そのため1945年秋より近隣校は大宝国民学校を借用して授業を実施し、1946年には道仁・精華・渥美・高津の各校を休校として大宝国民学校に統合することになった。 現在の南小学校校区にあたる地域には、終戦直後には大宝国民学校1校のみとなった。 なお精華国民学校は休校中、大阪市の文化会館などに転用された。戦中に休止状態になっていた大阪市立図書館は「大阪市立育英図書館」の名称で、精華小学校敷地を使用して復興している。
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