戦国時代の盛宗
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小梁川 盛宗(こやながわ もりむね、大永3年(1523年)- 文禄4年1月14日(1595年2月22日))は、戦国時代の人物。陸奥小梁川氏当主。伊達氏家臣。伊達晴宗の娘婿。小梁川親宗(尾張守)の子。小梁川宗重の父。中務大輔。小梁川親朝系の人物であり、上記の盛宗は曽祖父にあたる。 伊達晴宗の代から伊達氏に仕え、出羽国置賜郡の高畠城を与えられていた。智勇に優れた人物で、最上氏の武将・里見民部との戦いや大内定綱との戦いで武功を挙げた。しかし1570年に中野宗時が出奔したときは、これを見逃したために義弟である輝宗の怒りを買った。1585年に伊達輝宗が死去すると、老齢を理由に一線から退いて隠居し、以後は伊達政宗の側近として政宗に助言したと言われている。晩年は泥播斎と号した。文禄4年(1595年)正月14日、京都で死去した。享年73。
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