戦国時代の終焉と佐伯氏の復権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 20:57 UTC 版)
「厳島神主家」の記事における「戦国時代の終焉と佐伯氏の復権」の解説
藤原氏が滅亡したため、大内義隆の家臣で、小方加賀守の娘婿であった杉隆真(すぎ たかざね、杉氏一族)が新たに厳島神主家当主となり、過去にその当主であった佐伯氏(佐伯景弘の系統)の名跡を継いで佐伯景教(さえき かげのり、「教」の1字は佐伯惟教の偏諱か)と名乗った。厳島社本殿の棚守で、佐伯氏の一族・棚守房顕(たなもり ふさあき、妻は景教同様、小方加賀守の娘、「房」字は陶隆房の偏諱か)が、それを補佐する形となった。しかし大幅にその権力を縮小され、安芸国国人勢力から祭祀職管理者の立場に落とされた。 天文20年(1551年)に大内義隆は陶隆房の謀反に遭い自害(大寧寺の変)、天文24年/弘治元年(1555年)にはその陶晴賢(隆房より改名)も厳島の戦いで毛利元就に敗北、自害した。これより後は代々佐伯氏が歴代当主として活動し、現代に続いている。
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