戦友連合
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しばらくのあいだ、厳格な国家社会主義的心情を持った諸グループは、NPDはに対して距離を取っていた。なぜなら、彼らは「市民的」であるように見えたためである。しかし2004年10月にチューリンゲンのライネフェルデ=ヴォルビスで開かれたNPD党大会で、民衆扇動罪の前科を持つ自由ドイツ戦友連合(ドイツ語版)の活動家トルステン・ハイゼ(ドイツ語版)が、NPD連盟代表者に選ばれた。このことは、党と自由ドイツ戦友連合(ドイツ語版)との関係が強化したことを表している。3,000人のメンバーが所属する約170の自由ドイツ戦友連合をハイゼの助けを借りて、自分の政治活動に含めたいとNPDは考えている。 2004年の憲法擁護庁報告書(ドイツ語版)から、NPDとより過激な極右勢力との接近が見られるということである。党は「ドイツ国民戦線」というコンセプトによって、極右陣営統一化運動の中心になった。ユンゲ・フライハイト(ドイツ語版)紙の2004年のインタビューで、全国委員長ウド・フォークトは、この件について以下のように説明した。「もちろん、今日でも国家社会主義は時代の流れのなかでドイツに存在しています。NPDにとってその傾向は重要なものではありませんが、しかし国民自由主義や国民保守主義だけでなく、国家社会主義的傾向も統合しようと試みています。輪郭をはっきりさせることで、政敵がはっきりするのに役立ちますから」と述べている。 暴力容認派で違法となったザクセン・スイス・スキンヘッド(ドイツ語版)の多数のメンバーは、その間にNPDで活動を初めた。そのなかには、犯罪組織設立で有罪となったグループのリーダー、トマス・ザッテルベルク(Thomas Sattelberg)と、共同設立者で前科持ちのトマス・ラッコウ(Thomas Rackow)も含まれていた。
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