戦中の福祉活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 22:30 UTC 版)
1937年(昭和12年)、支那事変が勃発、美深町からも妻子を残して男子たちが出征した。カツは彼らの無事帰還を願い、1人1人に激励の手紙を送った、文面では彼らの武運を祈るとともに、相談事があれば何でも自分たちに申し付けるようにと書き添えた。荒んだ戦場の兵士たちにとって、故郷からの手紙は何よりの楽しみであった。しかもこのとき松浦周太郎はすでに美深町出身の代議士に就任しており、故郷の代議士夫人が丁寧な手紙で自分たちを想ってくれたことに兵士たちは感動し、手紙をポケットに忍ばせたり、お守りのように身につけたりした。 さらにカツは、戦時下で苦しむ人々の力になるべく教会でのボランティアにも積極的に参加した。衣類の不足を知ると、自分たちの着物を最低限残した上で教会に寄付をした。戦争が激しさを増す1942年(昭和17年)、大日本婦人会美深支部の支部長に就任し人々が助け合って辛い生活を乗り越えることを目指した。
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