成田観光開発の路線計画
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「日本ロッキード・モノレール」の記事における「成田観光開発の路線計画」の解説
成田観光開発が、1963年頃から、千葉県成田市の新成田 - 新勝寺間、約2.4kmの跨座式鉄道をロッキード式モノレールで建設する計画を立て、免許申請を行った。成田山モノレール観光(発起人代表小屋重信)というよく似た名称の企業も、成田 - 成田山門前間、約1.0kmの跨座式鉄道をアルヴェーグ式モノレールで免許申請しており、競願となった。1965年1月26日、成田観光開発が免許を取得した。同時に成田山モノレール観光の申請は却下されている。 しかし折角免許を得たものの、成田観光開発はなかなか着工することができなかった。1967年1月に工事施行認可申請期限の伸長が行われた。1968年2月にも工事施行認可申請期限の伸長が行われている。その期限も切れた1969年2月、成田観光開発は解散した。代表清算人は、日本ロッキード・モノレール取締役の松本豊彦が務めている。解散時の所在地も「東京都港区芝公園25号地」で、当時の日本ロッキード・モノレール及び川崎航空機工業東京本社の所在地と同じであった。
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