慈善家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 07:25 UTC 版)
「ベンジャミン・ギネス」の記事における「慈善家」の解説
1860年から1865年のまで間、ギネスは自身の出資で聖パトリック大聖堂の修復を行い、この事業には当時の金額で15万ポンド以上がかかった。1865年には建物が首席司祭と聖堂参事会に返還され、2月24日には教会としての仕事が再開された。1865年12月31日、ダブリンの市民や聖パトリックの首席司祭と聖堂参事会は、ギネスが都市のために行ったことへの感謝を表すために謝辞を送った。その謝辞は2つであり、後にパリ万国博覧会で展示された。ジョン・ヘンリー・フォーリー(John Henry Foley)による像は1875年に大聖堂の南側に立てられた。 その寛大さを認められて、ギネスは1867年に準男爵となった。彼は教会委員会(Ecclesiastical Commissioners)ダブリン代表の一人であり、シンプソン病院の理事であり、さらにダブリン博覧宮殿の副会長であった。彼は爵位を得た翌年にロンドン、パークレーンの自宅で亡くなった。彼は死亡した時点で、聖パトリック大聖堂に隣接する大主教マーシュ公立図書館の修復に携わっていたが、これは息子のアーサーによって完了している。ギネスは、1855年に買い込んだゴールウェイ県アッシュフォード城(Ashford Castle)を中心として、多くの個人資産を用いて入念に古い遺跡を存続させることによるアイルランド考古学に実際の関心があったと明かしている。
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