愛知トヨタ自動車時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:05 UTC 版)
「山口昇 (実業家)」の記事における「愛知トヨタ自動車時代」の解説
1939年(昭和14年)に山口は名古屋トヨタ販売の常務取締役に就任した。その後、1942年(昭和17年)、戦時統制により自動車が配給制となったことにより各県の自動車販売会社を合併させることとなった。愛知県では名古屋トヨタ販売、日産自動車販売名古屋支店などが合併し「愛知縣自動車配給」(自配)が設立され、山口は同社取締役社長に就任した。 戦後、愛知縣自動車整備配給は配給制度の廃止にともない、トヨタ自動車工業と契約、トヨタディーラーとして営業を再開し、1946年(昭和21年)9月には社名を愛知トヨタ販売と改めた。山口は自配から引き続き社長として愛知県内の販売網の構築に尽力した。また同年11月、全国のトヨタ系販売会社46社によるトヨタ自動車販売組合(現トヨタ自動車販売店協会)が創立されると山口は副会長に就任、この後1950年(昭和25年)、1961年(昭和36年)にトヨタ自動車販売店協会理事長に就任し、1973年(昭和48年)には会長に就任するなど、全国トヨタ販売店のリーダーとして活動する一方で、1961年(昭和36年)には愛知県自動車販売協会会長に就任するなど、自動車関連各種団体の要職を歴任した。
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