悲運の日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 21:52 UTC 版)
騎手生命を絶たれた坂本はその後も過酷な日々を送った。離婚を余儀なくされ、所属していた名古屋競馬側との補償交渉も思うように進まなかった。 坂本は、ハイセイヒメの体調がおかしいため、次回のレース(上記の7月19日のレース)は自重するように調教師らに進言していたが、結局聞き入れられなかった。さらに当時、名古屋競馬側の騎手に対する補償制度はないに等しいもので、騎手には競馬場という仕事場を貸しているだけのところという認識しかされていなかった。 この2つの要件を訴状として、坂本は主催者である名古屋市と、ハイセイヒメの調教師を相手取って損害賠償訴訟を起こすも事実上敗訴。和解段階で名古屋市側から見舞金として提示された100万円を手にしたのみであった。 坂本は後に、福井県勝山市にある身体障害者施設でリハビリ生活を送るようになったが、2008年2月10日、心筋梗塞のため死去。56歳だった。 なお、前掲の競馬エースのコラムによれば、坂本は首から下が不随となりながらも、バランスをとって電動車椅子を操作して遠出したり、口に棒を加えてパソコンを操作するなど、活動的に過ごしていたという。
※この「悲運の日々」の解説は、「坂本敏美」の解説の一部です。
「悲運の日々」を含む「坂本敏美」の記事については、「坂本敏美」の概要を参照ください。
- 悲運の日々のページへのリンク