恵楓園という保育施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:20 UTC 版)
ハンセン病の療養所である九州療養所には、患者の子弟を収容する、らい予防協会立「恵楓園」という保育施設が1935年(昭和10年)設立された。1941年(昭和16年)九州療養所は国立療養所菊池恵楓園と改名した。ハンナ・リデルが創設したハンセン病病院回春病院も同年に廃止されて、らい予防協会に寄贈され、回春病院から寄贈された7万円のうちの、19,800円で菊池恵楓園での保育所と同規模の龍田寮が建築された。以前の「恵楓園」に入所していた患者の子弟を収容することになった。学童もいたので、黒髪小学校龍田寮分校が開かれたが、教師も助教諭が一人と少なく、教育も行き届かなかった。中学生、高校生は地元の中学、高校に通学していた。菊池恵楓園は、1942年(昭和17年)より恵楓園は龍田寮の児童を黒髪校本校に通学させたいと要求し、熊本市は了解したが黒髪校の保護者の強い反対で、時期尚早として葬り去られていた。
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