従弟の自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 07:00 UTC 版)
本作品は1918年(大正7年)1月16日刊行の『夜の光』に収録され、その際、細かい修訂の他、初出末尾の部分に削除と訂正が加えられた。 「創作余談」には、 支那人の奇術で、此小説に書いたやうなものがあるが、あれで若し一人が一人を殺した場合、過失か故意か分らなくなるだらうと考へたのが想ひつきの一つ。 所がそんな事を考へて間もなく、私の近い従弟で、あの小説にあるやうな夫婦関係から自殺して了つた男があつた。私は少し憤慨した心持で、どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだつだといふやうな事を考へた。気持の上で負けて自分を殺して了つた善良な性質の従弟が歯がゆかつた。そしてそれに支那人の奇術をつけて書いたのが「范の犯罪」である。 とある。 従弟の自殺は、1913年(大正2年)7月29日のことで、それをモチーフとして8月7日に書かれた「従弟の死」、及び9月1・9日に執筆記録のある「支那人の殺人」が、「范の犯罪」の原形である。9月13日の日記には「どうしても「范の犯罪」に手がつかぬ。」、14日には「「范の犯罪を書きあげた。疲労しきつた。」とある。最終的に完成したのは9月24日のことで、「「范の犯罪」を後半殆ど書いた。不快から来た興奮と、前晩三時間くらいしかねなかつた疲労が、それを助けて書き上げさした。三秀社へ持つて行つた。」とある。
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