後宇多の宗教政策を継承とは? わかりやすく解説

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後宇多の宗教政策を継承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 17:44 UTC 版)

後醍醐天皇宸翰天長印信(ろう牋)」の記事における「後宇多の宗教政策を継承」の解説

第二に、奥書文観醍醐寺座主東寺座主肩書名乗っている点が注目される。このことは文観弟子著した瑜伽伝灯鈔』(正平20年/貞治4年1365年))など南朝由来文書には見られるが、他の現存文書では基本的にこの時期醍醐寺東寺の長は、北朝三宝院賢俊である。しかし、内田は、南朝元首腹心このように名乗るからには、ただの自称として済ましてしまうのもまた難しいと主張している。 内田は、文観京都から離れた吉野の地にいるので名目上に過ぎないとはいえ少なくとも南朝内での正式な醍醐寺座主東寺座主補任されていたのではないか、と推測している。文観賢俊どちらか一方が「正統な」醍醐寺座主なのではなく南朝天皇北朝天皇同時にたように南朝醍醐寺座主北朝醍醐寺座主同時に存在した、という風に考える方が、南北朝の内乱理解しやすいのではないか、としている。 また、文観が「東寺長者ではなく後醍醐の父の後宇多天皇新設した「東寺座主」に任じられた、と奥書書かれているのも特徴である。内田は、後醍醐天皇宗教政策は父が敷いた路線継承していることが見て取れるとしている。

※この「後宇多の宗教政策を継承」の解説は、「後醍醐天皇宸翰天長印信(ろう牋)」の解説の一部です。
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