引退表明とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 16:27 UTC 版)
「アイリーン・ジョイス」の記事における「引退表明とその後」の解説
1960年のインドへのツアー中に、ジョイスは同年5月18日のスターリング(スコットランド)での音楽祭への出演を最後に引退することを表明した。しかし彼女はその後も21年間に亙って何度もコンサートの場に復帰した。1967年にはアナトール・フィストゥラーリ指揮のロイヤル・フィルとの共演でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏し、別の日には三人のチェンバロ奏者とともにネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団と共演した。またこの年には当時十歳だったテレンス・ジャッドのキャリアの支援を開始した。 1969年にはロンドンのオーストラリア・ハウスでの2台のピアノによるリサイタルでジェフリー・パーソンズと共演した。1979年にはやはり2台のピアノによるリサイタルでフィリップ・フォークと共演した。1981年11月29日にロイヤル・オペラ・ハウスで行われた募金を目的としたコンサートではまたパーソンズと共演した。これが彼女のピアニストとしての最後の出演となった。 1981年8月にはレックス・ホプクロフトやセシル・ウーセ、アビー・サイモン、クロード・フランク、ロジャー・ウッドワードなどとともに第2回シドニー国際ピアノコンクール (SIPCA) の審査員を務めた。1985年の第3回大会ではロンドンでの予選を統括し、シドニーでの本選には後援者として、また審査員副代表として出席した。彼女はこのコンクールのために2万ドルを出資しており、1988年の第4回大会でも後援者となった。
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