引退、初の準年寄適用から濱風を襲名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:38 UTC 版)
「三杉里公似」の記事における「引退、初の準年寄適用から濱風を襲名」の解説
1998年7月場所限りで引退した三杉里は同年の5月に制定された準年寄制度を利用した初の人物となり、準年寄・三杉里として二子山部屋の部屋付き親方となった。1999年1月31日、両国国技館において断髪式を行った。2000年7月には年寄・17代濱風を襲名し、間垣部屋へ移籍した。 2006年11月、年寄名跡を間垣部屋の五城楼に譲渡して日本相撲協会を退職した。もともとは停年まで角界に残るつもりでおり、将来的には自身の相撲部屋を興すつもりで準備を進めていたが、2006年に協会の新しい規定が設けられ、最高位が大関以上でない力士の場合「幕内60場所以上」「三役25場所以上」のどちらかが新しい部屋の設立の条件となった。三杉里は幕内53場所、三役3場所で条件に届かず、独立は不可能になったため退職を決めたという。
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