建長寺退山から建仁僧堂師家そして管長就任から遷化まで
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1980年 (昭和55年) 5月8日に師匠竹田益州の命によって、建長寺退山を決意して、同年5月10日に建仁僧堂師家就任となる。1981年 (昭和56年) 11月には師の竹田益州が団長を務めた第二次代表訪中団の副団長として中国巡錫。1989年 (平成1年) 6月20日、竹田益州遷化により、同年6月建仁寺派管長に就任する。1991年 (平成3年) 4月21日には開山(栄西)生誕八百五十年法要厳修し。同年10月2日には管長の晋山式を挙行。1992年(平成4年) 8月霧島山中、四元様別邸宅にて脳梗塞に雁病、国立鹿児島中央病院に入院。その後は京都第一赤十字病院等に入退院をし、1999年 (平成11年) 7月14日八十七歳には米寿祝賀会が開催される。同年 8月には建仁寺派管長を退任。2006年 (平成18年) 7月24日遷化。
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