干支紀年と日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:26 UTC 版)
干支紀年の日本への伝来時期はよくわかっていない。日本に中国の暦本が百済を通じて渡来したのは欽明天皇15年(554年)とされるが、実際には、それ以前にさかのぼる可能性が高い。上述のように、日本で最初の暦がつくられたのは604年(推古12年)のことと伝わる。 埼玉県行田市埼玉の埼玉古墳群の一つ、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には「辛亥年七月中記」の紀年があり、銘中「獲加多支鹵(わかたける)大王」を雄略天皇とする考えが主流であることから、「辛亥年」を471年とする説が有力である。ただし、これに対しては531年とする反論もある。 一方、和歌山県橋本市隅田の隅田八幡宮に所蔵されている人物画像鏡には、「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿…」という銘文が鋳されており、この「癸未年」は、「男弟(おとど)王」が継体天皇と考えられることから、503年とする見方が有力である。
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