幕府旗本となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 01:21 UTC 版)
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属した。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、徳川方との内通を疑われた片桐且元の大坂城退去に伴って退城し、翌慶長20年(1615年)、大坂夏の陣では徳川方に属した。戦後は江戸幕府に仕え、家康の命で畠山姓に復して江戸に住した。後に上杉氏とは和解し、次男・長員が旗本として高家となり、同じく旗本となった宅間上杉家や深谷上杉家よりも高禄であった。 寛永20年(1643年)、京において死去。
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