幇間たちの山行きの唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 00:44 UTC 版)
「愛宕山 (落語)」の記事における「幇間たちの山行きの唄」の解説
噺の前半のハイライトシーンは、「この程度の山、大したことない」と見栄を張る幇間の一八が、唄を歌いながら山道を登っていく場面である。登っているうちに息が切れてきて、あっさりと音を上げてしまうのであるが、このとき一八が歌う唄に、上方と江戸で大きな違いがある。なお、唄の文句は噺家によって微妙に異なる。 上方でのパターン (順番)端唄『梅にも春』の一節 →「この唄、(テンポが遅すぎて) 山行きに合わん」とくすぐり 流行歌『かまやせぬ節 (コチャエ節) 』の一節 →「登らば登れ愛宕山、登ったとて1円のポチ (小遣い) にもなるじゃなし」と替え歌 そのあと、次のような唄を歌う。 愛宕山坂 ええ坂 二十五丁目の茶屋の嬶(かか) 婆旦那さんちと休みなんし しんしんしん粉でもたんと食べ 食べりゃうんと坂 ヤンレ坂これは実際に愛宕山参道の中腹 (二十五丁) にあった茶店の女が、客の呼び込みに歌っていた唄である。「しん粉」とは米の粉 (上新粉) を練って蒸した菓子で、愛宕参詣の名物であった。現在でも山麓の茶店で振舞われている。 江戸流行歌『コチャエ節』 お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に喰われ 七つの鐘の鳴るまでも コチャ 七つの鐘の鳴るまでも コチャエ コチャエ お前は浜のお庄屋様 潮風に吹かれてお色が真黒け コチャ 吹かれてお色が真黒け コチャエ コチャエ天保年間の「羽根田節」が元となって、明治4年に東京で流行した。
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