師弟関係としてのサニヤス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:45 UTC 版)
「Osho」の記事における「師弟関係としてのサニヤス」の解説
Oshoは、師弟関係を肯定し、それが光明を得る手助けになると主張する。Oshoは「光明を得た」存在が人々の意識変容を促すというのだ。彼の弟子たちはサニヤシン(sannyasin)と呼ばれている。「サニヤシン」という語はもともと、宗教的慣例に従って家庭と物質世界を棄て、僧侶になった者を指したが、Oshoは現世肯定的なサニヤシンのあり方を強調した。サニヤシンになるということは、何か新たな信念体系を獲得することでもなければ、個人的な所有物を放棄することでも、また特定の人物に追従することでもないという。サニヤス(探求)とは、運動でもなければ、組織でもない。その逆に、あらゆる組織、あらゆる集団、あらゆる教会からの、独立の宣言だ、と言う。 Oshoは「明け渡し」について語っている。「私に関する限り、マスターのどの古いカテゴリーにも属さない。私は新しい始まりだ。古いマスターたちは明け渡すことを要求したという意味で――。私はあなたがたに何も要求しない。私にとっては、明け渡すことは微妙な精神的隷属だからだ。私は、私の仲間たちが自由に生きる個人であってほしい。愛はどんな明け渡しよりもはるかに大きな現象だ。明け渡しはマインドのもの、明け渡しはひとつの努力だ。愛はハートのもので、努力ではない。私はあなたが個人であることを消すためにここにいるのではない。あなたのエゴを消すためにここにいる。それにはどんな明け渡しも必要ない。必要なのは、あなたの側での深い瞑想的理解だ」。サニヤシンたちはOshoの思想に服従する必要はない。自らが経験したことは自己の現実となるのであり、そこには信じたり従ったりするべきものではないからだ。
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