帆足京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 15:18 UTC 版)
帆足 京(ほあし みさと、天明7年(1787年)12月22日 - 文化14年(1817年)2月12日)は、日本の国学者、歌人。 長秋三十路の時の息女である。幼名を八潮、美佐登、御郷とも称し幼少より聡明な娘であった。若き頃より父の教えを受けて国学に関心を抱き詩歌や書道を嗜む。享和元年(1801年)の4月、京15歳の折に父母に伴われて山鹿より上京して約80日に及ぶ長旅の末に松坂の本居家に約80日間滞在した。松坂では父と伴に本居宣長の講演や歌会にも列席し、また長秋と伴に「古事記伝」をはじめ宣長の書かれた多くの書物を筆写した。その後、肥後熊本藩士岡小平太の弟貞亮を養子に迎えたが、長秋と些細な事で不仲になり、京夫婦は出奔して諸国を流浪し、京は文化14年(1817年)2月12日に長門国二見浦にて31歳で歿した。著書に享和元年の旅日記「刀環集」がある。
※この「帆足京」の解説は、「帆足長秋」の解説の一部です。
「帆足京」を含む「帆足長秋」の記事については、「帆足長秋」の概要を参照ください。
- 帆足京のページへのリンク