川端通 - 堀川通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/11 01:27 UTC 版)
東端の区間である川端通から堀川通の間は、第二次世界大戦時に沿道にあった家屋を防火帯として強制疎開させた跡なので、往復8車線の広い通りとなっている。以前は側道が設けられており、本線と側道の分離帯には1953年以降に植樹され大きく成長した212本のケヤキの街路樹があり優れた都市景観を形成していた。ケヤキは地下鉄東西線建設工事を控えた1990 - 1991年に撤去され、梅小路公園へ移植された。当初はすべてを御池通に戻す計画であったが、健全なケヤキのみが御池通へ戻された。一連の工事によりかつての御池通を特徴づけていたケヤキの分離帯は失われたが、歩道の車道寄りには、戻されたケヤキに加え新たにケヤキ223本が植えられた。道路照明灯、信号機、歩道、南北方向の交差道路の標柱などのデザインが統一されており、また交差道路の名の由来を表示するなど、京都のシンボルロードとして模範となる都市景観を形成している。市役所前には地下街や市営地下駐車場が整備されている。 祇園祭の山鉾巡行の経路の一部となっているほか、各種のイベントでは交通規制してパレードなども行われる。地下鉄東西線の京都市役所前 / 烏丸御池 / 二条城前の3つの駅がある。
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