川舟と運輸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:04 UTC 版)
1690年(元禄3年)に幕府は城米を津出しする河岸を定めたため、選ばれた河岸は銚子漁港を含めて商品流通の要となっていった。周辺農村の年貢米や特産品を河岸から江戸に向け出荷し、帰りも商品荷物を運ぶことによって、河岸は急速に人や荷物が行きかう場所へと発展していった。利根川はじめ川という水系インフラの充実により、北総地域一帯が栄えることとなったのである。その代表でもある佐原や小見川(香取市)は利根川水運の発達により、年貢米の津出し場や周辺地域の物資の集散地として栄え、醸造業などの産業も発展した。この時期、佐原は「お江戸みたけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」といわれるほどの賑わいを見せていた。利根川下流で主に使われていた舟は主に高瀬舟であり、最大級のもので、船長約26.96メートル、船幅 5.1メートル 余り、積載量は米 1,200俵(約72トン)であったと言われている。
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