川崎市民プラザから横浜産貿ホール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:13 UTC 版)
「コミックマーケット」の記事における「川崎市民プラザから横浜産貿ホール」の解説
1980年春のC14から1981年春のC17は川崎市民プラザで開催され、参加サークル350〜400、参加者約7,000人規模で推移するが、すぐに会場が手狭になった。1981年夏のC18では横浜産貿ホールが使用され、この時初めて2日間の開催を行ったが、ついに参加サークルが500、参加者が1万人を上回った。 換言すれば、この時期まではコミックマーケットといえば女性参加者が主体だったが、この時期より『うる星やつら』のヒットに伴い、同作のサークルが激増、当時のロリコンブームと相まって、男性参加者が本格的に進出。ジャンルとしての男性向け創作の基礎が作られ、わいせつな内容の同人誌、所謂「エロ同人誌」が増えた。漫画家の吾妻ひでおや蛭児神建らによる日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)の行列が館外に作られ、現在の「壁サークル」の走りとなったのもこの時期である。
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