川口恒子・鶴羽伸子の「虎一」観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 05:13 UTC 版)
「篠原虎一」の記事における「川口恒子・鶴羽伸子の「虎一」観」の解説
川口恒子(金沢大学助教授・教授・名誉教授)戦前に金城団、戦後に金沢交響楽団の伝統が金大フィルハーモニー管弦楽団の育成に役立ったことと思います。殊に金沢弦楽合奏団、篠原虎一先生の指導で弦の水準がどんなに向上したことかを思わずにはおられません。また大学当局がよく理解して、オケのために楽器をそろえていただけたことも有難いことです。 鶴羽伸子(翻訳家)昔、金沢に篠原虎一というバイオリンの先生がいらした。金沢一中を出ると上京し、ウィリー・フライの門下生となる。帰沢なさって昭和十年代に初めてとった弟子が私の姉と妹であった。この先生に育てられて姉は昭和二十年に東京芸大のバイオリン科に入る。続いて昭和二十七年に妹が入学。その次に先生が送り込んだのがN響のコンサートマスターを長年つとめられて現在昭和音大教授の川上久雄氏である。若き日の篠原先生の教え方はまことにきびしく弟子はよく泣いたらしい。目に涙をこぼれんばかりにためている私の妹のレッスン風景を見て、自分の娘を弟子入りさせるのをやめた親もいたという。しかしそのしごきに耐えてついてくる弟子には持てるもののすべてを惜し気もなく与える方であった。姉が入学した昭和二十年と言えば終戦の年である。芸大生にはそれなりのランクの楽器の調達が必要だ。なにしろ終戦の年である。両親は困りはてていた。ある日篠原先生の奥様が一挺の楽器を持ってこられた。加賀の名家の出である先生は、今ならどれほどの値なのか分からないが、数挺の名器を所有しておられた。その一挺を姉の入学祝いに下さったのである。
※この「川口恒子・鶴羽伸子の「虎一」観」の解説は、「篠原虎一」の解説の一部です。
「川口恒子・鶴羽伸子の「虎一」観」を含む「篠原虎一」の記事については、「篠原虎一」の概要を参照ください。
- 川口恒子・鶴羽伸子の「虎一」観のページへのリンク