岩佐又兵衛の墓跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 21:31 UTC 版)
「福井市宝永小学校」の記事における「岩佐又兵衛の墓跡」の解説
江戸時代初期の絵師で、浮世絵の創始者とされる岩佐又兵衛の墓が、かつて敷地内にあった。岩佐又兵衛は摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の生まれだが、40歳のころに松平忠直に招かれて北庄(現福井市)に移住し、20余年をこの地で過ごした。その後、二代将軍徳川秀忠の招きにより江戸に移住しその地で没したが、墓は遺言により遺族の住む北庄にあるゆかりの興宗寺に建てられた。戦後、興宗寺が隣接する現在地へ移転し、宝永小学校が養浩館敷地から現在地へ移転したあとも、墓だけがそのまま残された。1987年(昭和62年)の宝永小学校改築工事の際に現在の興宗寺へ移され、墓のあった場所には「岩佐又兵衛の墓跡」の碑が建てられた。
※この「岩佐又兵衛の墓跡」の解説は、「福井市宝永小学校」の解説の一部です。
「岩佐又兵衛の墓跡」を含む「福井市宝永小学校」の記事については、「福井市宝永小学校」の概要を参照ください。
- 岩佐又兵衛の墓跡のページへのリンク