岡山維新の会 (2010年)とは? わかりやすく解説

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岡山維新の会 (2010年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 02:11 UTC 版)

日本政党
岡山維新の会
成立年月日 2010年10月1日
解散年月日 2014年3月28日[1]
解散理由 日本維新の会との政策の不一致
本部所在地
〒703-8222
岡山市中区下337-1 熊代事務所内
政治的思想・立場 地方分権
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岡山維新の会(おかやまいしんのかい)とは、主に岡山県で活動していた日本地域政党政治団体

概要

衆議院議員(4期)、内閣府副大臣内閣総理大臣補佐官を務めた熊代昭彦2010年10月に結党した市民の党「自由と責任」を基盤として、首相公選制の導入、参議院の廃止、地域主権の徹底的充実などで政策的に近い、大阪維新の会を率いる橋下徹に感銘を受けたメンバーにより結成された。熊代は幹事長に就任している。

2012年10月31日日本維新の会と「維新八策」への賛同や公務員教育、議会改革の推進を盛り込んだ政策協定集に合意し[2]、連携協定を締結した[2]。なお、都道府県議会議員の居ない地域政党と日本維新の会が連携協定を結んだのはこれが初めてである[2][3]。また、締結時には選挙協力についても行うことが合意されたが、この時、遊説などの際に動員をかけないよう日本維新の会側が求めたとされている[4]

幹事長の熊代によれば、年会費100円の「庶民的政治団体」[5]であり、2012年10月に行われた岡山県議会議員補欠選挙で維新政治塾出身者を推薦するなど、日本維新の会勝手連的な選挙組織として活動しているとみられる。前述の通り日本維新の会とは政策協定を結んでいるものの、組織としては無関係であり、日本維新の会岡山県総支部とも無関係である。

当初は市民の党「自由と責任」が岡山維新の会に移行する予定であったが、岡山維新の会は日本維新の会との政策の不一致から2014年3月28日に解散した[6]

2015年12月に片山虎之助おおさか維新の会の地方支部として岡山維新の会の設立を届出ているが、直接の関係はない[7]

脚注

  1. ^ 平成27年11月27日公表(平成21、23、26年分 解散分) - 岡山県
  2. ^ a b c 岡山維新と日本維新が協定中国新聞2012年11月1日00:44配信 2013年1月1日閲覧)[リンク切れ]
  3. ^ 特命調査班 ~マル調~「『橋下維新』 地方組織づくりの舞台裏は…」毎日放送VOICE2012/10/31放送 2013年1月1日閲覧)[リンク切れ]
  4. ^ 橋下代表 山陽遊説 山陰現職「人気は都会」も警戒日本海新聞2012年11月14日配信 2013年1月1日閲覧)[リンク切れ]
  5. ^ 岡山維新の会と市民の党「自由と責任」の関係について - kumasanのブログ(熊代昭彦ブログ、2012年10月17日)
  6. ^ ご案内状
  7. ^ “片山氏「岡山維新」設立を届け出 高井氏は残留、野党連携目指す”. 山陽新聞. (2015年12月14日). http://www.sanyonews.jp/article/272303 2018年9月17日閲覧。 

関連項目

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