岡山の温室ぶどうとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/08 15:09 UTC 版)
「播州葡萄園」の記事における「岡山の温室ぶどうとの関係」の解説
1883年(明治16年)、岡山県の大森熊太郎は、ブドウ栽培の研究視察のため上京の途中、播州葡萄園を訪ねた。その時、ヨーロッパブドウを試食し、その香味に驚き、ヨーロッパブドウ栽培の決意を固めたと言われる。そして翌年、大森は、森芳滋を介して、播州葡萄園からヨーロッパブドウのベル(ジョハニス・ベルグリイスリング種か)、ボル(ボルドー・ノアール種か)各100本、ハン(ブラック・ハンブルク種か)、レッド(レッド・マンソン種か)各50本と合わせて200本のたねづるを譲り受け、今までのアメリカブドウ・甲州ブドウの大部分を接ぎかえ、更新した(岡山の果樹園芸史)。 また、岡山の津高で大森とともに研究してきた山内善男は、播州葡萄園の温室を見学し、1886年(明治19年)に当時の御津郡津高村栢谷に、播州葡萄園と同じ型の、片屋根式の幅9尺、長さ18尺の温室を造り、マスカット・オブ・アレキサンドリアの苗木を植え、2年後の1888年(明治21年)に6貫(22.5kg)の収穫を得た。これが現在の温室ブドウ生産の発祥となったものであり、地元では、その初期のマスカット温室が町の中心地に近い道路沿いに復元されている。
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