岡山の惣年寄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 02:07 UTC 版)
岡山の惣年寄(古くは大年寄)は定員3名で、岡山藩の評定所において大目付・町奉行列座で任命された。士分待遇であり、地子・町役を免ぜられ、苗字帯刀を許され、10人扶持を賜った。市内62町を上組・中組・下組に分けて1人1組ずつ町政を担当した。城下の栄町にある町会所は町奉行が町政のための執行機関として使用し、惣年寄たちは自宅を役所とした。 惣年寄の下に、各町ごとに名主・年寄が1 - 2人いた。彼らの人選は各町の入札で行われ、惣年寄から上申されたものを町奉行が任命するという制度になっていた。ほかに、総町に惣代が2人、各町に年行事が1 - 2人、1 - 2町に町代が1人いた。それ以外に10人扶持を与えられた船年寄(船舶の取締りや、運上銀の取立てが職務)など、惣年寄格に任ぜられた者たちも若干名いた。 惣年寄のうちの1家の河本家は宇喜多氏の家臣であったと言われる。
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