山崎清次とは? わかりやすく解説

山崎清次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 14:16 UTC 版)

山崎 清次
生誕 1891年1月18日
日本 東京府
死没 (1959-11-01) 1959年11月1日(68歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴  1912年 -
最終階級 陸軍中将
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山崎 清次(やまざき せいじ、1891年1月18日 - 1959年11月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

東京都出身。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、砲兵少尉任官。

1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に進級し野砲兵第21連隊に就任、日中戦争に出征し南京付近の警備に従事。1940年(昭和15年)8月、陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に異動。1941年(昭和16年)7月、第51砲兵団長となり、同年10月、陸軍少将に昇進した。

1942年(昭和17年)8月、北支那方面軍付となり、1943年(昭和18年)6月、支那派遣軍砲兵教育隊長となる。1945年(昭和20年)1月、第52軍隷下の第8砲兵司令官に就任し、千葉県佐倉で陣地を構築。同年4月、陸軍中将に進んだ。同年5月、近衛第3師団長に親補され、千葉県成東本土決戦に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
  2. ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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