山口組の報復と抗争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:45 UTC 版)
このベラミ事件は山口組若頭・山本健一の怒りに火をつけた。鳴海を追跡する一方で、山本は容赦のない攻撃指令を出した。報復は山本率いる山健組を中心に、宅見組(組長・宅見勝)などが参加した。 同年8月17日から10月24日にかけて公衆浴場や松田組幹部自宅、路上といった場所でも無差別に松田組系組員を次々7人以上を射殺した。田岡を狙撃した鳴海は9月17日に六甲山の山中で、激しい暴行を加えられたことが明らかな状態の他殺体となって発見されたが、真犯人の判らぬまま1993年に時効となった。 松田組との手打ちさえ望まない山本健一は、11月1日に報道陣を神戸の田岡邸に招いて一方的に抗争終結を宣言。松田組も終結宣言を大阪府警に提出し、大阪戦争は終結した。
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