ベラミ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:45 UTC 版)
日本橋事件から1年9ヶ月後の1978年7月11日、山口組組長の田岡一雄は、京都市太秦の東映撮影所を訪れた帰りに京阪三条駅前のクラブ「ベラミ」を訪れた。この時、田岡が「ベラミ」を時々訪れる情報を事前に掴み1ヶ月ほど前から通いつめて待ち伏せていた大日本正義団幹部・鳴海清によって田岡は狙撃された。凶弾は田岡の首に命中して貫通銃創となり、奇跡的に一命を取り留めたが、当時すでに巨大組織となっていた山口組のトップが命の危険に晒され、流れ弾で関係のない医師2人が重傷を負った銃撃事件は社会に大きな衝撃を与えた。 報復は直ちに開始され、事件後数時間のうちに(結果としてベラミ事件に関与していない)敵対組織に銃弾が撃ち込まれる事件が発生した。
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