日本橋事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:45 UTC 版)
抗争は一時沈静化していたが、翌年の1976年10月3日に大阪日本橋筋商店街で大日本正義団の会長・吉田芳弘(当時36歳)が、待たせていた車のドアを開けようとしたところ、近寄ってきた佐々木組組員2人組が拳銃を3発発射、全て胸に着弾して吉田は15分後に死亡した。また、逃亡する犯人を大日本正義団組員が追跡して発砲、こちらは命中せずに組員は警察に逮捕された。白昼の繁華街の発砲事件は、社会に大きな反響をもたらした。 佐々木組から前年3名の死者を出していることへの報復だった。すぐに松田組側から報復が行われると警戒されたが、そのまま何事もなく1年以上の時が過ぎた。 こうして山口組と松田組の対立が深まり、冷戦状態になる中で、突如起こったのがベラミ事件である。
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